【自己探求10】仕事と私 ー出産してから今までー

Webデザイナーとしての就職失敗と、その後に勤めた会社での解雇という2つの挫折を書いた「【自己探求09】仕事と私 ー独身時代ー」の続きです。

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専業主婦からの再就職

そうして無職になって出産し、しばらくは専業主婦として育児に専念していましたが、2年が経つ頃、もともとあった夫の腰痛が悪化し、病院で手術を勧められました。腰痛に苦しむ姿も見ていたし、腰痛が原因で休日の予定がなくなることも少なくなかったので、この機会に良くなるなら、と私も賛成し、手術することに。数ヶ月の入院が必要となりました。

最初は何も考えていなかったのですが、パートを始めたというママ友の話を聞いたときに、「よく考えたらしばらく無収入になるから、私も働こう!」と思い立ち、どうせ働くなら時給1,000円足らずのパートより正社員でしっかり稼ぎたい、と考えて就職活動を始めました。

それまでの職歴を振り返り、一番好きだった編プロの時のような仕事がしたい、とフリーペーパーの営業の仕事に応募したのですが、なぜか音沙汰なし。それと同時にハローワークでも求人を探し、EC系の仕事を2つ、見つけました。一つは食品メーカーのWeb担当、もう一つは表彰用品のネットショップ勤務。先に食品メーカーの面接へ行き、次は役員面接、と言われたのですが、その前にネットショップの面接があり、その場で採用と言ってもらえたので、話が弾んで良い印象だったことと、早く保育園の申し込みがしたかったことで、そちらに決めました。

この会社は、ネットショップとしては業界ナンバーワンで、運営店舗は10店舗以上ありましたが小さな会社で、社員数名で受発注や顧客対応、ショップ運営の全てをこなしていたので、一人一人にマルチな働きが求められていました。そんな中、私は接客業やコールセンターの経験もあり、ページを作ることもでき、受発注に関してもすぐにマスターしたので、上司からとても評価していただけました。フルタイムでの就職だったので、平日の夕食作りなどは同居の姑に任せ、時には実家に子どもを預けて東京へ出張に行ったりして、仕事に集中する生活になりました。2年半ほど専業主婦の生活を送っていたので、社会復帰できたことがとても嬉しく、夢中になっていました。

ただ、子どもはいきなり長時間の保育園生活になったので登園を渋るようなことも徐々に出てきて、会社に子ども連れで出社したこともありました。1年しっかり働いたのち、上司に掛け合い、2年目からは制度を作ってもらって、時短勤務を始めました。時短と言いながらも少人数なこともあり、なかなか帰れないこともありましたが、もともと上司が生産性を重視し、残業を推奨しないような考え方の人だったので、帰りづらいということはなく、それなりに自分のペースで働けていました。

上司は、生産性を重視する分、厳しいところもある人だったので、特に新卒など早くに辞めていく人も多く、繁忙期は年末や年度末だったのですが、その時期は少数精鋭でやらざるを得ないところがありました。2年目の冬だったか、そのときは上司と私含め3人しかいない、いう状況で、子どもがインフルエンザに罹りました。病院での待ち時間にぐったりした子どもを抱き抱えながらスマホでお客様のメール対応をしたり、病院の帰りに会社へ寄って子どもを寝かせておいて受注作業をする、その後車で往復2時間かけて実家に子どもを預けに行き、翌日も出社、というようなこともありました。そこまで頑張っていたのに叱責を受けるようなことがあり、そのときは本当に辞めようかと思いましたが、翌日また上司に「頼むわ」と言われると、頼りにされていることが嬉しくて、頑張ろうという気持ちになっている自分がいました。

そして3年目、2人目の妊娠がわかりました。辞める気は全くなかったので産休に入るギリギリまで働いていましたが、ちょうどその頃は叱責する相手がいなくなったからか、私にその役目が回ってきたようで、半年近く前の仕事の内容やスピードに対して厳しく評価されるようになりました。そこは、言われてみると確かにもっとできたはず、と自分でも思う部分ではあったのですが、暑い時期に大きなお腹で100%の力が出せる訳でもなく、引き継ぎ準備に入っていた時期にそこで取り戻すことも難しく、「今言われても…」ともどかしく苦しい思いでいっぱいでした。また、この2年間で自分は「できる」と思っていたので、自分の実力はこんなものなのか、と悔しくも感じました。

復帰を前提として育休に入っていましたが、最後の勤務日まで厳しく言われた状態だったので、なかなか前向きな気持ちになれませんでした。1年育休を取って復帰の予定でいたので、保育園に途中入園できたらとりあえず一旦復帰しようと思っていましたが、9月という時期もあり入ることができませんでした。育休を半年延長してもらった春には入園できる見込みがありましたが、長女の小学校入学と重なり、当時の長女の様子を見ていると、入学と同時の仕事復帰が心配なこともあり、また、2人育児で正社員との両立ができるのかという不安も大きく、退職を決意しました。退職するつもりでいるのに育休を延長してもらうわけにはいかないと思い、保育園に入れなかったことの報告と同時に退職の決意を伝えましたが、上司の好意で育休延長という形にしていただけました。在籍中は厳しいこともたくさん言われましたが、やはりそれなりの評価をしていただけていたんだな、と改めて感じました。中身の濃い4年間でした。

Webから離れたことで自分の立ち位置を見つけた

会社員を辞めたあとは、4日間のママヨガ講師養成講座に通い、ママとベビーのヨガインストラクターとして活動を始めました。自分が育休中に産後ヨガやベビーマッサージへ通い、とてもリフレッシュできたので、それをもっと地元でも、という思いで始めたのですが、それと同時に実は「Webから離れたい」という気持ちもありました。Webの世界は流れが本当に早くて、会社員時代は仕事と家事育児で精一杯、学びの時間まではなかなか取れず、もどかしい思いをたくさんしていたので、ちょっと離れたい、と思ったのです。

また、長女の出産前後には、知り合いからお仕事をいただくこともあったのですが、Web関連の仕事でフリーランスとして活動するには、やはり「スキルが足りない」と思っていました。これは、スクール修了後に就職活動を失敗したところから引きずっているコンプレックスのようなものがあったと思います。

そういう理由で産後ママ向けの活動を始めたのですが、さまざまなママ起業家さんと繋がっていく中、自分にとっては当然のことでも知らない・わからない人が多い、ということに気づきます。Webの仕事と言えばバリバリのWeb業界しか見えていなかったのですが、SNS起業などと言われる時代になって、求められているものもさまざまだということにやっと気づいたのです。

また、私より後に起業した知り合いが、ずっと会社でWebを発注する方の立場にいたとは言え、それまでWeb業界で働いていた訳でもなかったのに、Web制作で起業し成功していく姿を見て、モヤモヤすると同時に、私でもできるんじゃないか、という気持ちが強くなりました。ずっとやってきた、という変なプライドがあったのかもしれません。

実は、ママ向けの活動だけではほとんど収入にならなかったので、Webから離れたいと言いながら、結局は知り合いのネットショップでページ作成やバナー作成の仕事をもらっていました。ただ、自宅にいながら時給で働いていたので、前もって申告した時間は仕事があってもなくても拘束され、自由に行動できないことが徐々に苦痛になり、パートではなく自分自身でWebの仕事ができるようになりたいと思うようになりました。

そこで、知人が立ち上げた起業を学ぶオンラインサロンに入会し、そこで「Webの仕事をしたい」と思い切って口に出しました。すると、「ペライチ作れる?」と聞かれ、内心(ペライチって自分で作るものじゃないの…?)と思いながら「作れる」と答えると、「作って欲しい人がいるから」とサロン内の起業家さんを紹介され、初受注。最初は値段もどのくらいつけていいかわからず、起業サロン主宰の知人にアドバイスをもらって2万円という値をつけたのですが、私にとっては簡単すぎるくらいの仕事でその価格がもらえることに正直、驚きました。

LPの制作について学んだこともありませんでしたが、これまで商品ページについては数え切れないほど作っていたので、「なんとなくこんな感じかな」と無意識にその流れで作っていました。今見ると初仕事のページは稚拙な部分もありますが、特別に勉強することもなく、セオリー通りのページが作れていたのは、やはりそこまで積み上げたものがちゃんとあり、活用できていたということなんだな、と今だからこそ思います。

その後も、そのサロン内の起業家さんや紹介・口コミで、あまり集客らしい集客をすることもなく仕事が入ってきました。ページ制作のパートは辞め、ヨガも徐々に手放し、ちょうどコロナ禍が始まったときにはWeb一本になったので、休校になっても外出ができなくても困ることなく、仕事をすることができました。

30歳の時に「Webで生きていく」と一度思ったものの、10年以上いろいろ遠回りをしましたが、やっぱり私はこれが好きなんだ、「Webができれば子どもがいても家にいても仕事ができる」と思ったのは間違いじゃなかった、と気づくことができました。

自分の周りと比べてた

そんな私の周り。父方にいとこが4人いるのですが、それぞれ会計士・弁護士・建築家・音楽家とその道のプロばかり。妹に関しても、在学中に通関士の資格を取り、大学卒業後はずっと海運会社一社で勤めていました。

大学卒業後も仲の良かった同級生を見ても、就職氷河期ながら日本のインフラ企業や大手銀行、携帯電話会社などに就職し、ずっとそこで働いている人が多く、それなりのキャリアを築いています。

英会話スクール半年、コールセンター2年、編プロ3年、派遣で1年、EC2年、専業主婦を挟んでEC4年、と小刻みに業界の異なる転職を繰り返しているのは私だけ、と、自分とは異なる周りの人と自分を比較してコンプレックスを感じていました。

また、「昭和の価値観」みたいなものもあったと思います。終身雇用が当たり前、一社に勤め続けるのが当たり前、という時代に生まれ育っていたので、それができていない自分は「落ちこぼれ」と勝手に思い込んでいました。実際には、特にWeb業界は転職も多い業界だったりするのですが…。

確かに、再就職を考えるなら、この転職回数や勤務年数はネックになるのかもしれません。でも、起業した今となっては関係のない話。しかも、スキルと転職回数には全く関係性はありません。ですが、自分で勝手に自分の価値を低く見ていました。

今考えてみると、会社員として働いていたときに「評価された」と自分で感じているのは、編プロ時代の「文章力」と、ネットショップでの「対応力」。こうやってじっくり振り返ったことでそこが言語化できてきたし、高く評価されていたところが自分の「強み」なのかも、ということに気づくことができました。

一方、商品ページのデザインも足掛け8年ほどやっていて、酷評された覚えは全くなく、時々多少の修正が入る程度だったので、デザインにも問題ないということなのだと思うのですが、言葉にして褒められたことが他にある中で、そういう評価をもらっていない=大したことない、ということだと思い込んでいたのかもしれない、という気づきもありました。

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