【自己探求09】仕事と私 ー独身時代ー

「【自己探求07】海外と私」の最後に書いた通り、私は私自身が他人との比較で自分自身にダメ出ししていました。

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【無名人インタビュー】他人と自分を比べてしまう人|無名人インタビュー|note

このインタビュー、私は好き放題やってきた、という話をするつもりだったのですが、付いたタイトル「他人と自分を比べてしまう人」の通り、私は他人と比べて自分を「落ちこぼれ」だと思っていた、という話になり、インタビューというのはインタビュアーによって変わる、ということを実感しました。

これまでの人生、「やるべき」より「やりたい」を優先してきたし、自己肯定感は高い方だと思います。でも、自分の心の声に正直にやってきた分、就職活動もしなかったし、やっと就職したと思ったら半年ほどで辞めてしまったというのは「【自己探求07】海外と私」に書いた通り。

もくじ

とても楽しかった編集プロダクションの仕事

その後は、京都へ戻ってひょんなことから編集プロダクションへ就職しました。新聞社OBの社長と会計担当の社長の娘さん、そして社員が2人という小さな会社でした。

社長が新聞社時代の人脈で仕事を受けていて、退職前に担当だったのが医療関係だったらしく、会社として一番メインの仕事も医療関係、病院の広報誌の制作などを請け負っていました。事務所で座って原稿作りをすることもありつつ、取材や打ち合わせで外に出ることもよくあり、パソコンに向かうのも苦にならないけれどあちこちへ出かけるのも好きな私にとって、そのバランスがとても良かったように思います。

基本的には社長のアシスタント的な仕事や、DTPの仕事が多かったのですが、医療とは関係なく、フリーペーパーの記者の仕事もあり、そちらは最初こそ、原稿を社長に見てもらっていましたが、特に修正が入ることもなく、すぐに完全に任せてもらうことができました。京都で何かやっている人を取り上げるコーナーで、取材相手を見つけるところから、取材、撮影、原稿作成までをやっていました。

家業を継いだ同級生や、面白いイベントをやっている知人、取材した人に紹介してもらった人を取材することもありましたが、当時はmixiやブログ全盛期だったので、ネットで検索して見つける、ということも多々。いかに、分野を偏らせず、さまざまなフィールドの方に取材するか、そしてもちろん、自分が「話を聞きたい!」と思える人を見つけるか。「こんなことをやっている人がいるんだ!」と見つけるのがとても面白かったです。やっぱりここでも、「知らない世界を知る」ことが楽しかったんだと思います。

取材は、カフェなどで直接会って、1時間ほど話を聞きました。事前にある程度の質問を用意していって、あとはその時の流れで変わることもありましたが、皆さん熱い想いを持って活動されている方ばかりなので、話が盛り上がらない、ということはあまりありませんでした。

レコーダーで録音した内容を聞きながら文字起こしをし、記事にするのですが、その時の会話によっては内容が前後したりするので、その辺りの流れは読みやすくまとめたり、伝えたいであろうことを考えて言葉を加減したりしていました。原稿チェックをお願いすると「あの会話がこんな風にうまくまとまるんですね!」と感激の言葉をいただくことも少なくなく、とても嬉しくやりがいがあり、また私の自信にも繋がりました。

30歳を迎えて一度はWebと決めていた

働き始めて2年が経った頃、ちょうど30歳という節目を迎えたこともあり、「このままでいいのかな?」と考え始めました。

当時も今のこのサイトと同じドメインでブログサイトを作っていて、その投稿記事のアーカイブが残っていたので、この時に考えていたことを振り返ることができました。

たぶんちょうどその頃から、漠然と「今のままでいいんかなぁ」と思うようになりました。今の仕事を続けても、今の会社でしか通用しないんじゃないか、と。結婚・出産を経て再就職、となったとき、自分の売りとなるものは何もないことに気づきました。個人で仕事をやるなんてもってのほか。

2007年3月16日「30歳」yumcom.net

30歳と1ヶ月の日に書いていた投稿の抜粋です。ちょうどその頃というのは1ヶ月前の誕生日のこと。

今振り返ると、もともと文章を書くのは好きでしたが、仕事としてやっていく中で磨かれていったものもあったはず。そして、編集やDTPの知識は、今でもそれなりに役に立っています。でも、このときはそんな風に見えていなかった。小さな会社で仕事をしていて、同業他社のことも知らなくて、「今の会社でしか通用しない」と思い込んでいました。

また、25歳でやっと就職し、そこからも業種の異なる転職を繰り返して3社目だったので、「30歳未婚女子のビジネスパーソンとしてのあるべき姿」を勝手に想像し、そこと比較して自分を「全然ダメ」と評価していました。このときは、全く違う分野へのキャリアチェンジか、Webをもっとやるのか、で悩んでいましたね。

ブログには書いていませんでしたが、「Webができれば結婚して子供が生まれても家で仕事ができる!」ということに気づいたのもこの頃だったと思います。ただ、10年くらい独学でやってきて、会社でもディレクションのようなこともやっていたけれど、今のスキルではダメだ、とも感じていました。企業サイトなどもデザインの優れたもの、面白いものがたくさん出てきていて、とてもじゃないけれど自分はこんなもの作れない、と。

当時、Web業界のキャリアとしてはデザイナーで経験を積んでディレクターになるというのが一般的で、ガッツリWeb業界でやるならまずはデザイナーにならないと、と思い込んでいたのです。それまでの経験から考えても、デザイナーを目指すよりディレクターの方が向いてそうな気がしていましたが、一般的な流れを無視する発想が当時の私にはありませんでした。かと言って、そこからでどんな風にスキルを身につけていけばいいのかもわからず、行き詰まりを感じていたので、全く別の「手に職」をつけることも考えていました。

結局、数日後にはこんなことを書いています。

そう、つまり、やっぱりWEBで生きていくかな〜という気分が強くなってます。大きな犠牲を払ってまでキャリアチェンジするほどの覚悟があるなら、その気持ちをWEBに向けたらもっともっと頑張れるんじゃないか、と思ったのです。

行き詰まったら方向を変えるのは、一つの手なのかもしれません。ただ私は今までそればっかりやってきて、結局何もモノになってない。そういう自分が30にしてやっと見えてきました。フットワークが軽いのはいいことだけど、粘り強さってのも大事。頭でわかりつつ逃げてたのが、やっと実行できるようになったのかなー。

2007年3月20日「私ってば」yumcom.net

こうして、Webで行こう、と決め、専門スクールに入って、編プロに勤めながらWebデザインの勉強もしました。

Webデザイナーへの転職失敗

スクールは、実際に一流Webデザイナーもたくさん輩出しているようなスクールへ通いましたが、今思うと「楽しい習い事」レベルにとどまっていたように思います。クラスメートのせいにはしたくないですが、クラスもたまたま、「家業のために」といった動機で、Webデザイナーになる!というよりも「Web制作の知識を得られれば」という人が多く、途中でドロップアウトする人がいたり、スクール卒業後に制作会社へ転職を考えるような人も少なく、同じ目標に向かって切磋琢磨と言うよりは、ゆるい雰囲気でした。

中間発表・卒業制作と2回、制作発表があるのですが、そこでの制作内容も、就職を見据えたものではなく、自分が作りたいものを作っていました。卒業制作は、そもそもは友人のお店のWebサイトを制作させてもらうはずだったのですが、諸事情によりできなくなってしまい、代わりにFlashゲームを制作。Action Scriptという言語を使ってプログラミングしている奮闘ぶりはブログにも残っているのですが、ゲーム会社に就職したかった訳でもなく、制作会社にWebデザイナーとして入りたかった私が、なぜFlashゲームを作ったのか…(笑)。ぼんやりと「制作会社でWebデザイナー」とは思っていたものの、具体的な目標として就職のためにどんなスキルが必要か?が見える化できていなかったのかもしれません。

結局、そんな状態で制作会社に就職活動をしても、自信を持って「Webデザインができます」とはなかなか言えなくて、ことごとく落ちてしまいました。なかなか就職できないので、派遣会社に登録したところ、東京の大手Webデザイン会社が某大手家電メーカーのWeb企画室に入って仕事をするということで、そこのスタッフの1人として仕事させてもらえることになりました。

ここでの仕事内容は、Webサイトのちょっとした更新が主な仕事。私は英語力も買ってもらっていて、英語サイトの更新や簡単な翻訳などもやることがありましたが、仕事量に対してスタッフ4人というのが多すぎて、暇を持て余していました。緩い雰囲気だったので雑談に花を咲かせたり、仕事とは全く関係のない、コンペ形式のバナー応募サイトにみんなで応募したりして、楽しい雰囲気でそれなりの時給ももらえて、というオイシイ仕事ではありましたが、将来のことを考えて転職をしたのにWebデザイナーとして力をつけていくというところからは程遠い状況だったので、段々とモヤモヤしてくるところがありました。

店長と衝突・解雇

1年ほど経ったとき、大学時代の先輩に紹介されて、食品製造メーカーのEC部門に転職。女性店長が1人でお店を大きくしたのですが、片腕になって欲しい、と言われ張り切って入社し、当初は遅くまで残業して頑張っていました。事務所のスタッフは店長の他、私ともう1人、お客様対応のスタッフがいて、店長が企画した商品の販売ページを作るのが、私の主な仕事。最初は3人で和気あいあいと楽しく働いていました。やりがいはありましたが、店長は直感で企画する人だったので、その意図を汲み取りページに反映するのが大変な時もありました。

その後、店長と仕事の進め方で意見が合わず、少し不満に思い始めた頃、店長が鬱になり突然出社しなくなりました。企画・販売に関しては店長のワンマンだったため、困った事態に。遅くまで残業するような働き方も原因の一つなのかも、と定時で帰るようにしたり、メルマガの内容もこれまでと違った路線にしたり、もう1人のスタッフと相談しながら自分なりにできることを考えてやっていたのですが、数ヶ月後に店長が復帰すると、こちらの意見は聞き入れてもらえず、またこれまでと同じやり方をするようになったので、どんどん不満が募り、お互いにぶつかるようになっていきました。

また、入社前から私は結婚が決まっていて、結婚後もし妊娠・出産となっても自宅勤務で、という話までしていたのですが、店長復帰後、私の妊娠がわかりました。その時点では、いろいろ合わないところはありつつも、産休・育休を取得して働き続けるつもりでいたのですが、数ヶ月後、売り上げが落ちていることを理由に「事務所を閉鎖するから解雇」と告げられました。

転職は何度も経験していた私ですが、解雇と言われたのは初めて。しかも、聞くともう1人のスタッフは自宅勤務という形で仕事を続ける話になっているそうで、私がやっていた仕事は外注するとのこと。あまりのことにショックを受け、入社当初の残業代を取り返せないか、と弁護士さんに相談もしましたが、そう簡単なことでもなく、今はそれより出産に向けて気持ちを持って行った方がいい、と勧められ、諦めるしかありませんでした。

でも、どうしてもこのまま引き下がるのは悔しいと思い、当時は自社サイトをオープンしたところで、そのデザインは私がやっていたのですが、その元データを退職前に削除。訴訟ものだと言われましたし、今思うとその通りだと思うのですが、それくらいはしないと気が済まないくらい、悔しい気持ちでいっぱいでした。

思い返してみると、揉めていた一番の原因は、ページを作るスピードが遅い、と言われていて、それに対して私は、店長からの指示が明確でないから、と考えていました。最初に書いた通り、直感的な人だったので、指示があっても感覚的で、それをデザインに落とし込むことに苦戦していました。私が入るまでは店長自らがページを作っていたので、それと比べて「遅い」と感じたのでしょう。ほぼ使い捨てのようなページにも関わらず、きちんと作り込まないと気が済まなかったこともあって、余計に求められるものからかけ離れてしまったのだと思います。私もまだまだ未熟だったので、自分の要望を上手く相手に伝えることも出来ず、溝を大きくするばかりでした。

そうやって合わない部分があったので、解雇がなくても早いうちに退職していたのかもしれませんが、結婚・出産後のことまで考えて入社したし、先輩の紹介だったこともあり、元々は長く働くつもりだったので、2年で解雇されたことが本当にショックでした。


長くなったので、「【自己探求10】仕事と私 ー出産してから今までー」に続きます。

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